みなさん、はじめまして。
Haru the Sewing Catへようこそ。
わたしは、ソーイングキャットこと、春ともうします。
記念すべき、最初のブログでは、わたしが縫いものや、ものづくりに夢中になったきっかけと、着物の生地がどうして今のわたしの作品づくりにつながっているのか、そんなお話をしてみようと思います。
わたしは日本で生まれ育ちましたが、約20年前にアメリカ・ハワイ州へ移り住みました。
異国での生活にも少しずつ慣れてきた頃のことです。
2011年3月、東日本大震災が発生したことを知りました。
ハワイの地元新聞でも大きく報道され、多くの企業や団体が日本へ支援金を送っていました。
その様子を見ながら、わたしも何かできることはないかと考えましたが、手元にすぐ送れるようなまとまったお金はありませんでした。
そんなとき、ふと、亡き母が残してくれた着物がタンスの中に何着か眠っていることを思い出しました。
「この着物の生地を使って何かを作り、それをバザーで販売できたら、少しずつでも支援につなげることができるかもしれない。」
そう思ったわたしは、その日から夢中になって、母の着物をほどき、ミシンを踏み続ける日々を始めました。
ハワイの方々に、手に取っていただけるような、カバンや小物をひとつひとつ作っていきました。
実はその頃のわたしは、まだ、ミシンに触れ始めたばかりの、洋裁初心者でした。
それでも、母が残してくれた着物の生地は、やさしく寄り添うように、わたしの手を導いてくれました。
それは、まるで、母が、私のすぐ横で、いっしょに創作を手伝ってくれているような感覚でした。
日が経つにつれて、この活動に共感し、協力してくださる方々も少しずつ増えていきました。
長い時間はかかりましたが、
たくさんのハンドメイド作品を、さまざなな人々の手に取っていただくことができました。
その結果、ハンドメイド作品の売上は最終的に100万円を超え、その資金を東北の支援金としてお送りすることができました。
このように、本来の目的であった支援金を届けることが無事に叶ったわけですが、その過程の中で、わたし自身が縫いものの魅力に深く惹かれていきました。
また、母の着物をほどき、その形を変えていく中で、着物と洋服の違いや、生地の持つ意味についても少しずつ学ぶことができました。
そして何よりも、母の着物をミシンで夜な夜な縫っていた時間は、母と静かに語り合っているような、私にとて、何か特別であたたかなひとときでした。
その語らいの中で、母は私に大切なメッセ―ジを伝えてくれたように思います。
「欲しいものが手の中になければ、ないことを嘆くよりも、知恵を絞り、手を動かして、自分で創り出せばいい」・・・と。この言葉は、今でもわたしのものづくりの根っこにあります。
同じ頃、ハワイで剣道を始めたわたしは、竹刀袋や防具バッグが、ハワイでは、簡単に手に入らないことを知りました(ハワイには剣道防具店がないのです)。
そのときも、心の中で自然とこうつぶやいていました。
「ないなら、作ればいい。」
そしてまた、いそいそとミシンの前に座り、竹刀袋づくりを始めるようになりました。
日本にいた頃は、欲しいと思ったものの多くが、簡単に手に入っていたように思います。
たとえば、美味しい和菓子や、自分の身体にピッタリサイズの服、ふらりと入った食堂で食べる好物の豚肉の生姜焼き定食。
けれど、それらが簡単には手に入らなくなった環境となったときに、ガッカリしたり、文句ばかりを言ったりするのではなく、日頃から自分の頭と手をしっかり使って、どんな環境においても、こころ明るく、元気に過ごすことができる人間でいたいな・・・と、思っています。
今日もミシンを踏みながら、そんなことを考えています。
Haru the Sewing Catは、竹刀袋づくりから始まりました。
けれど、わたしのものづくりの旅は、まだまだ始まったばかりだと思っています。
母から受け継いだ着物とともに、「ないなら自分で作ればいい」。
そんな気持ちを胸に、今日もミシンを踏んでいます。
わたしの創作コレクションの中から、
皆さまのお気に入りのひとつが見つかれば、とても嬉しく思います。
ソーイングキャット 春より